• 開発品【ザ・ファースト】について

    某社と自社が共同開発した金型で成形したルアー本体で、別の新商品をほぼ同時に発売する。しかもその事は第三者に知られてはならない。そんな課題を新入社員時に課せられていたのが、Mariaから初のプラグとなる【ザ・ファースト】のスタートラインでした。
    カラーリングについて、PATENT構造を持つ某社は「中身を見せたい」透明感のある色遣いに対し、当社は、中身を「見られたくない」ベタ塗りが基本。また、今の様な熱転写のホログラムなどは無く、光り物は本体に高価な蒸着メッキを施すしかありませんでした。そんな中産まれた【ザ・ファースト】の発売当初のカラーは5色。ラパラの定番GFR(金/蛍光赤)・FB(ブルー)・他社品で流行り始めていたレッドヘッドをちょっと変えたFRH(蛍光赤レッドヘッド)・当時のオリジナルカラーCF(イカ)・SD(イワシ)でした。
    【ザ・ファースト】は最初のMF・MCD140とMF・MCD115は、いずれも某社との共同開発でしたが、 やはり港湾部で多用される90mmや70mmのお客様からの要望が日に日に高まってきて、 マリア単独の商品開発として【ザ・ファースト MF90・MCD90】が動きだします。しかし、F(フローティング)仕様は、OKでも同じ本体を用いてのCD仕様が全く泳ぎませんでした。予定を大きく過ぎてしまったため、「待たせてゴメン!」のキャッチフレーズで広告などに掲載し、MF90だけ先行販売。そして、MCD90は再度金型を直し発売をしました。同時にF90も新しい金型本体に変更していたという裏話があります。
    その後、 70mmサイズも開発され、4サイズの【ザ・ファースト】がマリアからラインナップとなりました。
   
  • 開発品【ポップクイーン】について

    「商品の開発」と「市場の開拓」のために、また個人の楽しみとしても夢中になっていた、オフショアルアーフィッシングの釣行を様々なシチュエーションで繰り返す中で、衝撃的な場面に遭遇しました。とあるアングラーがキャストし、水面を泡を曳きながら走るルアーに、シイラが一塊になってチェイスし、バイトを繰り返してきました。これが「ポッパールアー」開発のきっかけです。
    当時は、市販品にはほとんどオフショア専用のポッパーは無く、ハワイアンルアーのPilly(ピリー)やウッドプラグのGibbs(ギブス)など、ありったけのサンプルを投げまくって、ヒントを探っていました。また、この頃はポッパーフィッシングはシイラより、南海の離島でのGT(ジャイアントトレバリー)がメインターゲットで、使われていたポッパーは大きな口で、「ガボッ!」と大きな音と泡を発するものがメインで、どちらかと言うと速いリトリーブには向いておらず、一生懸命リールを巻いて無理やり速く引こうとすると、すぐに手指の皮がずるむけしてしまうほどでした。
    あれこれと試作品を作り出し、フィールドに出てテストを繰り返すうちに、少しずつヒントが見えてきました。しかし、おおむねスペックが決まりかけた頃、「ポッパーは販売数量が見込めないから、シイラ専用ではなくて、シーバスにも対応するように!」との指令が下り、首振りアクションが付けやすい45度の立ち姿勢が決定。次に「ウェイトの重さ」「ウェイト位置」「フックサイズ」を決め、シンプルな内部構造のために、8の字環を採用するなど、【ポップクイーン】のスペックが決まっていきました。
    そして、1991年の発売以来、現在に至るまで当時のままのボディスペックで、今も多くのユーザー様に愛され続け、育て上げられてきたポッパーが、ソルトポッパーのパイオニアと呼ばれている【ポップクイーン】です。
   
  • 上記ルアー開発時のMaria

    ソルトウォータールアーフィッシングの市場が、まだまだ小さかったこの頃、商品を発売するだけではなく、海専用プラグを使うフィールドも、同時に創り出し広めていく事が必要でした。当時のマリアブランド主任の同級生が、仕立て専門の船宿を営む、隠居丸を口説き落として、オフショアルアー船として、相模湾のシイラを対象にした新しい釣りを提案しました。数々の雑誌や、当時スポンサー契約のあった、「釣りロマンを求めて(テレビ東京系列:1989年~2013年放映)」でも積極的に紹介しました。
    隠居丸の出船予約は、当時の(株)ヤマシタ商品開発部の電話を、お客様からのダイレクトダイヤルとして設定し、自分が予約受付を担っていました。予約のあった日の夕方には、隠居丸にその日の釣果や、海の状況などを聞き取りし、釣果情報としてストックし、TELでの問合せなどに対応していました。
    シイラのシーズンが終わる秋からは、当時は東京湾内でフッコクラスを、9㎝前後のミノープラグで狙うのが主流だったシーバスにも、14㎝28gと言うビッグサイズのプラグを使って、70㎝・80㎝と言うサイズのスズキを狙う、「磯からのシーバスフィッシング」も提案し、これも釣りロマンを求めてのロケも行って世に広めました。当時まだほとんど攻める人がいなかった、三浦の磯のポイントを図入り実名で、雑誌等に投稿し、東京中日スポ―ツに週一で、ナブラTheルアーMariaと言うコラムも連載していました。
    さて、夏の間だけとはいえ、「オフショアのシイラフィッシング」、秋から冬の「シーバスフィッシング」の、生の釣り情報を提供するため、夏は毎週末船に乗り、冬は出勤前に毎朝数人のメンバーで、あちらこちらの磯に釣行を繰り返しておりました。これが「Water Front Key Station Maria」の実像です。
    もちろん、本業はルアーメーカーですから、商品も開発しなければなりません。当時は「商品開発」「設計」「情報収集」「情報提供」「お客様対応」など、現在では分業されているすべてを、Maria Officeが担っていました。

  •  

Maria STAFF 中川 陽介

  • 開発品【マール・アミーゴ】について

    1996年にオリジナルサイズとして発売されたのが80㎜。その頃、マリアとして「釣りロマンを求めて(テレビ東京系列:1989年~2013年放映)」に年数回出演する等、販促にも力を入れていた時代でした。当時、流行していた東京湾ボートシーバスでは、【ザ・ファースCD90・70】」と【ザ・カーニバル】、【ラ・フェスタ】といったアイテムしかなく、バイブレーションプラグ等は共演者から借りることが多くありました。
    そこで当社でもバイブレーションを作ることになり、いくつか課題を出されて開発し始めたのがきっかけとなります。1つ目の課題は、「販売価格は1000円。消耗しやすいのでなるべく安く!」、2つ目の課題は「通常品より強度UP。当時はブラックバスの流用が多かった為、ソルト用にしなさい!」。事実、湾奥の障害物周りを攻めると重いバイブレーションプラグはミスキャストで破損する事が多いのが悩みのタネでした。
    試行錯誤した結果、前年に発売していた樹脂皮膜を纏った【ビバ・パレード】というメタルジグの製法を応用して樹脂ソリッド本体のバイブレーションプラグを開発する事で課題がクリアでき、【マール・アミーゴ】誕生となった次第です。オリジナルサイズとなる80mmの個人的なこだわりとしては、スムーズな沈下姿勢にあります。当時のヘビーウエイトのバイブレーションは頭からキリモミして沈下するものが多く、いいところにキャストしてもリトリーブ開始時にはエビになっていることが多かったです。 腹部の形状や幅、ウエイト、フック位置など気を配り、仕上げていった記憶があります。
   
  • 開発品【ブルースコード】について

    このルアーの発売は2002年。開発のきっかけとなったのは、当時フィールドスタッフとして活躍していた鳥居靖生さんからの提案によるものでした。「ミノーとは違うアクションやポイントの考え方で有効なアイテムがあるけど形に出来ない?」との事。なかなか判り難い提案でしたが、実際に使っているルアーを送ってもらい、その使い方や、アクションの肝どころなどを色々教えてもらいながら試作を進めました。
    拘った点は飛距離・アクション・レンジキープ。想定されていた場所は天竜川等の大河川で流れの強弱を味方にしてデカいシーバスを狙うというものでした。当時は、ミノー全盛の時代にあって画期的な考え方でシンキングペンシルというジャンルを発掘したといっても過言ではないかもしれません。ただし形にするのは非常に難しく、飛距離UPの為に重心移動を搭載、レンジキープの為にどれくらいの本体ボリュームが必要なのか?どのくらいの重量が妥当なのか?リップがないので本体の振り幅やアクションはどれくらいが適当なのか?等、鳥居さんと連絡を取り合いながら試作を繰り返す日々。
    ようやく金型着工、最後に成型品での微調を終えて鳥居さんからOKをもらった時は正直ホッとした気持ちと、大きな肩の荷が下りた感じがしたのを思い出します。カラーについても鳥居さん考案で定番の「CG(チャート・ゴールド/メッキボディ)」という【ブルースコード】の代表するカラーを初めて搭載したモデルとなりました。
   
  • 上記ルアー開発時のMaria

    1996年頃はマリア創設から7年程が経過しており、三浦界隈のシーバスとオフショア、特に相模湾のシイラゲームに注力していた時代でした。『Water front key station Maria』として情報発信をしながらアイテム的にもミノーやメタルジグ以外の可能性を模索していた時代だったと思います。
    また、イベント関係にも多く参加してシーバスパーティーやシイラスクール、フィッシングショー等でユーザーや業界の方達と情報交換を行い、みんなで盛り上げていこうとしていたように思います。今ほど情報拡散がスピーディーではなかった時代だったのでこうした機会は貴重でした。
    2002年ごろになると商品ラインナップ的にはほぼそろった感じでしたが、バチ抜け等の特化したシチュエーションでの釣り方が開拓され、ニッチなアイテムが開発されるようになりました。当社も最初はありものでプリンセスM90・70・50のリップを1本1本、人が削って、 やすりで仕上げてプリンセスMリップレスを発売。翌年にはニュート70・90と専用機種を投入。また、タイトスラローム80もベイエリア特化アイテムとしてこの頃、開発されました。

  •  

Maria STAFF 上嶋

  • 開発品【フェイクベイツ NL1】について

    フェイクベイツシリーズは時代に合わせたどこでも通用する究極の汎用性ミノーを作るというコンセプトで立ち上がりました。当時各社シチュエーションに特化した専用設計のルアーがどんどん出てきた中、汎用性だけでは対応できないシチュエーション向けに作られたのが、このフェイクベイツのノンリップ(NonLip)モデルである【NL1】です。
    【NL1】は、干潟やシャロー、ナイトゲームに対応するミノーとして開発されました。最大深度30cmのレンジで使うことを想定し、安定した飛距離と、スレた魚に警戒心を与えない弱々しいアクションを兼ね備えています。125mmのボディは、見た目は細身でありながらも扁平で角ばった断面をしており、これが安定したアクションと遠投性を可能にしていました。この特異な形状は、一見奇妙に映りましたが、実はルアーの運動性と内部空間を最大化するために計算された設計です。【NL1】は、本体の肉厚強度の限界まで絞り込み、内部にはアクションと飛距離の関係性を追求したウェイトが配置されています。
    このルアーは干潟での釣りを主なターゲットとしていましたが、発売後は河川やサーフ、磯といった多様な場所での釣りにも対応し、多くの釣り人から支持されるようになりました。発売当初は、その独特な泳ぎや浮力に関する批判もありましたが、時間が経つにつれてその釣果の良さが評価され、「不細工でも釣れるルアー」としての地位を確立しました。
    その独特な特性から「この場所ではこれでないと釣りが成り立たない」という声も多く、「売れるルアーと釣れるルアーは違う」という言葉を物語るにふさわしい【NL1】は、販売終了して10年近く経ちますが、今でも熱心なシーバスファンによって求められており、価値のある一品として、その名を残しています。
   
  • 開発品【フラペン】について

    【フラペン】とはテールに配されたフラップとシンキングペンシルを掛け合わせたネーミングです。シーバスのマストルアーとして市民権を得たシンキングペンシル(シンペン)をもっと使い易く、使い切れていないお客様にも体感してもらいたい思いと、何か面白い提案はできないかという思いの両方から形になったのが企画のスタートです。
    【フラペン】は、シンペンのボディのテール部にリップを追加することで、従来のロッド信号の少なさや位置把握の難しさを克服し、且つ、飛距離とナチュラルなアクションの維持を目指しました。テールに抵抗板を設けることで、ローリングが強くなり、ミノーよりもバタつかない自然な動きを実現。さらに、飛距離の抵抗となるリップを開閉式にする「フラップ」というギミックを導入することで、シンペン並みの飛距離を実現出来ました。そして、この後方リップ「フラップ」が生み出す波動を「初めて体験する後方波動」として世に打ち出していきました。
    【フラペン】のデビューは、オリジナルサイズである85mm/15g。シーバスだけでなく、ヒラスズキやマダイ、青物など多種多様な魚種での効果が確認され、釣り人から高い評価を得ました。次に、より浅いレンジを攻めやすくしたシャローモデル85mm/12g、ダウンサイズの65mm/11g、青物に特化させた115mm/35gと85mm/28gなどを展開していきます。
    現在では、シーバスにマッチしていたアイテム達は廃盤となっていますが、その独特な特性に気付いたお客様から、再販を望む声も多くあります。
   
  • 上記ルアー開発時のMaria

    フラペンの開発時、テール部に装着した開閉式リップである「フラップ」が生み出す、後方波動は、ルアーを追尾する魚からすると今までない波動振動を感じているのではないか?という仮説を立てていました。試作ルアーを夜光虫が発生していたシチュエーションでルアーの後方にモワモワと軌跡が見え、確信に変わりましたが、今までにない後方波動を「どうやってお客様に伝えるか」が最大の課題でした。
    フラペンをお客様に公開するフィッシングショーを控えた年末に、回流水槽を扱うメーカーに頼み込み、色水を仕込んでフラップ後方から発生する波動の視覚化に成功。そして、ベイトフィッシュが尾ビレをはためかせて出す波動の軌跡も類似していた事も映像として捉えられることが出来、何とかフィッシングショーでお披露目となりました。 「釣具を科学する」、それを視覚化し、多くのお客様に衝撃を与えたアイテムであった事を思い出します。

  •  

Maria STAFF 松本

  • 開発品【ローデッド】について

    自身がローデッドの開発をスタートした時期は、現在ほどに青物のトップウォータープラッギングゲームが確立されておらず、専用ロッドやルアー操作についてもほとんど情報が無いような時期でした。当時のプラッギングゲームと言えば「シイラ」「カツオ」に代表される真夏のライトゲームか、南方のGTやキハダなどのビッグゲームが主流のため、時期を選んで楽しむか、お金を貯めて遠征ターゲットを狙いに行く選択肢しかなく、それまでジギングでしか釣れないと思っていた「ヒラマサ」が、「トップウォーター、プラグで狙って釣れる」という情報を耳にして大変驚きました。 そして、関東でも身近な外房海域で真夏以外のトップウォータープラッギングゲームが成立することを思い『これはやるべきだ』と確信したことを思い出します。
    そんなスタートラインでしたが、その製品開発の道のりはなかなか険しく、少ない情報と高価なウッドプラグを研究しながら釣り方を理解して実際に釣果に結び付くまで約2年以上の歳月を要しました。1年以上かかって初めてチェイスを得られた翌日などは興奮して、大先輩である中川さんに報告した際、「魚のチェイスだけじゃ釣ってねーじゃねーか!釣ってからもの言え」と叱られたのを思い出します。
    その後、プロトを進めるうちに操作感と釣果が伴うようになり、180mmサイズの【ローデッド】を製品化できました。自身初設計担当のプラグ製品であったこともあり、お客様に【ローデッド】で釣った写真を見せてもらった時は、とても感動したことを覚えています。
   
  • 開発品【ラピード】について

    ローデッド発売から数年が経過し、タックルの進化やベイトの変遷、環境の変化などもあり、太ボリュームと高アピールが売りの「ローデッド」では釣果に結び付かない、またはチェイスがあっても隣のスリムプラグに魚が振りむいてしまうような状況に出会うことが増えてきました。そこで必要に駆られて開発スタートしたのがローデッドと比較してスリムタイプであるラピードになります。
    当時主流だったのは180mm/60gクラスでしたが、日々のフィールド活動でベイトの小型化傾向を感じていたため、あえて主流サイズより小型化した160mmクラスからスタート。スリム&シンプルな小型ボディにオーバータックルでの操作も踏まえたコントロール性と、誰が操作してもエラーなく愉しく誘える操作感を追求しました。
    発売当初は主流サイズに対して軽いことから市場評価が得られない場面もありましたが、現在のMaria青物プラグラインナップの中では主軸として欠かせないアイテムにまで育ってくれているので、当時の判断が良かったものだと感じています。
    ちなみに、一見すると単純に見える内部構造(構造リブの厚みや位置、ウエイト配置など)のバランスとりは他のシリーズと比べ困難を極め、もう二度と手を出したくないと思えるほどのトラウマとなっているくらい、トライ&エラーの繰り返しでした。 オリジナルの160mmから始まり、現在の4サイズの展開となっているラピードですが、この展開をしていくと決まった時は、なかなかの覚悟を強いられました。
   
  • 上記ルアー開発時のMaria

    【ローデッド】、【ラピード】の開発時は、現在大人気となっている青物プラッギングゲームの黎明期で、誘い方やタックルが目まぐるしく進歩していく最中でした。
    世界的に見ても「釣り」に対して先進国といっても過言でない日本において、これほど一気に「新しい釣り」が確立されていった事象は近年稀だと感じています。
    そのフロンティアな瞬間に少しでも開発者として立ち会えたことは、今後も続く釣り人生の中でもかけがえのない時間になるであろうと確信しています。
    また、新たなメソッドが提案されては廃れ、各メーカー・ブランドから様々なアイテムが生まれては消えてを繰り返していく中に、自身の開発アイテムも含まれるわけですが、変わりゆくフィールド・環境の中で数多くのアングラー様に長くご愛用いただいており大変ありがたく感じています。
    多くのメソッドが確立された現在の進化した青物プラッギングゲームにおいても、まだまだ新たな選択肢が生まれています。今後もアングラーの一員としてフィールドに立ち、皆様と共に新たな道を切り開いていければと思っております。

  •  

Maria STAFF 基