「新しい釣漁業の技術」山下楠太郎
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第六章あるベテラン船漁構長の体験んどは現在の鮪延細漁業の中堅幹部として、世界の海で活躍されているのであります。氏の多くの体験の中には各種の漁業に役立つものが多く、三十七年間の船漁携長時代を通じて部下に一人の負傷者も出さずに、無事故航海と、大漁に次ぐ大漁をつづけられたことだけを考えてみても、氏の人柄がしのばれるのであります。氏の多くの体験の中から、ここでは各種漁法に於ける生餌、死餌の仕掛け方についてお話しましよ』フ。42寺脇幸太郎氏私の研究所には遠洋鮪延細に従事した者が多く、その中でもこれからお話する寺島幸太郎氏は私よりも先輩であり、現在の遠洋鮪延細漁業の先覚者であるといっても過言ではありません。氏は大正四年十三才の時から昭和三十七年七月迄、実に氏の記録によると四十三年と三百五十七日間、鮪鰹を追って世界中を飛びまわったのであります。その一生の大半を海洋と漁業に捧げ、今なお、われわれと共に漁業への情熱をうしなうことなく、努力されているのであります。氏は、徳島県の牟岐に明治三十六年十月生れ、幼少より沿岸漁業に従事し、小学校も十分に出ないにもかかわらず、乙種一等航海士の免状を得、大洋漁業、東北振栄水産の船漁携長となり(昭和十二年I昭和三十七年)、「鬼の寺島」「鬼の幸太郎」と異名を奉られました。氏の薫陶を受けた乗組員のほと

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