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タコベイトの歴史

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タコベイト誕生の起源

発明のヒント

発明のヒント

釣り界の革命児

 現在、日本国内はもちろん、世界中の釣り人や漁業者に愛用されているタコベイト(ゴールデンベイト)。YAMASHITAの看板商品であるこの疑似餌(ぎじえ)は、マグロをはじめとする大型回遊魚の釣りで抜群の威力を発揮するほか、タチウオや根魚などの釣りにも多用されている。深場のジギングやエビングで使われるケースも多い。さらに、北海道や東北などで大人気のサケ釣りでも必須アイテムとなっており、サーモンフィッシングの本場・ カナダやアメリカなどでは最高級の評価を得ている。
 いまや、釣り人なら知らない人はいないほどのポピュラーなアイテムだが、この一風変わった擬餌はいつ、どのような経緯で発明されたのだろうか? そこには、当社創業者・山下楠太郎による長年の研究と試行錯誤のドラマがあった。
タコベイトの歴史は、釣り界に革命をもたらしたひとりの日本人の物語でもある。

釣り界の革命児

釣り界の革命児

 明治41年12月1日、三重県阿曾浦(現・南伊勢町)に生まれた山下楠太郎は、八人兄弟の末っ子。父・留吉は名人級の漁師で、当地にマグロの曳き釣りを根付かせるなど、新しい釣り方をつぎつぎと採り入れたパイオニアであった。自らを釣りの日本一として自認するだけあって、研究心も人一倍強かったという。
 その名人の血を引く楠太郎だったが、幼い頃は手に負えない腕白で、高等小学校も一年で中退してしまう。

しかし、いつも間近で父親が漁をする姿を見ていたため、すでに7~8歳の頃から櫓船を自由に操れ、たったひとりで出船しては大量の魚を釣ってきたという。

釣り界の革命児

 そんな楠太郎が12歳のとき、忘れられない出来事がある。ある日、次兄が船長だった漁船が伊豆諸島沖で嵐に遭遇して難破。帆も櫓も食料もすべて流されてしまったのだ。やむなく太平洋を漂流し、乗員たちが神頼みをする危機的状況のなか、やがて風もないのに船がグルグルと旋回していることに気づく。海面下をのぞいてみると、海中に垂れ下がっていたマグロ縄のハリに、赤色の布切れが偶然引っ掛かり、それに大型のマグロが食い付いて船をグルグルと引いていたのだ。乗員たちはそのマグロを釣り上げて腹を満たし、九死に一生を得たという。

画期的な 擬餌作りのヒント

楠太郎はこの話を聞いて、魚は活きエサばかりでなく、疑似餌でも十分に食ってくれることを肝に銘じて知ることができた。そして同時に思ったことは、「マグロが食い付いた布切れというのは、どんなものだったのか?」である。
兄は柔らかな小さな布だったというが、それがどんな状態の布だったかはわからない。
もしもそれがわかれば、画期的な疑似餌を作る
ためのヒントになるはずである。
後年、疑似餌の開発と普及に人生を
捧げた情熱の根源は、この瞬間に
あったと言えるだろう。

赤い布切れと現在のタコベイトの動き

スプーンの起源

 この話は、ルアーの一種であるスプーンが誕生したときのエピソードと似ている。ある日、イギリスの釣り人が湖でランチを楽しんでいたときに、誤ってスプーンを水面に落としてしまった。すると、ヒラヒラと沈んでいくスプーンに鱒が食い付いたことからヒントを得てルアーのスプーンが誕生したという説である(のちにスプーンの特許を取得した英国人の創作との説もある)。
 いずれにしても、誰もが見聞する機会がありそうなことながら、そこに隠されたヒントを見出す感性こそが、大発明につながるかどうかの紙一重の差なのかもしれない。

釣れる擬餌の追究に人生を捧げる

漁や航海のあらゆる 技術を学ぶ

一般に漁師は秘密主義で、楠太郎の時代の漁師たちも自分の見つけた漁場や使っている仕掛けなどは肉親にも教えなかったという。しかし、兄弟全員が漁師となっていた山下家では、個々の秘伝や漁場をオープンに共有し合い、それによって技術や知識が飛躍的に高まったという。のちにタコベイトを世界中に広め、自分が考案したアイディアを惜しみなく漁師たちに提供した楠太郎の人柄や考え方は、このときに培われたと思われる。
 マグロ漁を軌道に乗せた山下家は1926年(昭和元年)、神奈川県三浦市にも拠点を置くことになった。楠太郎も19歳で三浦市に移り住み、漁労長として山下家を支える柱にまでに成長していた。単に魚を獲るだけでなく、海上の激務のなかで漁具や漁法に創意工夫を凝らし、幾多もの発明も行ってきた。
しかし、血気盛んな若者は小さな安定を好まず、北海道大学水産専門部の練習船に乗組員として参加し、世界中の海を巡りながら近代的な航海術を学ぶ。その後も日本各地の漁船を乗り継ぎながら、ありとあらゆる知識や技術を吸収していったのである。

魚のこと、 エサのことを知る

こうしている間にもしばしば思い出すのが、かつて次兄に聞いた赤い布切れにマグロが食い付いたエピソードだった。「いったいどんな疑似餌なら、魚がよく釣れるのだろう?」。当時、マグロ釣りの主流は、古事記の時代から行われてきたという延縄(はえなわ)漁で、活きたイワシを餌として使っていた。もっとも、疑似餌自体も新しいものではない。鳥毛や魚皮、牛の角、貝殻などの天然素材を使った擬餌は古くから使われていたし、名人として知られた父・留吉も木製の型にゴムを被せた疑似餌のトビウオを作るなどしていた。
 こうした父の姿を見て育った楠太郎が、もっとよく釣れる疑似餌を作りたいと考えるようになったのは自然の流れだろう。
楠太郎は幾度もの自問自答を繰り返した末、よく釣れる疑似餌を作るためには
「まず、魚の生態を知ること」が重要だと悟る。魚たちは、どんな餌を食べているのだろう? そして、魚たちはどうやって餌がいる場所を知るのだろう?
 それらの疑問を解き明かすため、1937年(昭和12年)、楠太郎は30歳にして天職とも言える漁師を辞めることを決意。
誰もが使いやすく、誰もがよく釣れる疑似餌の開発に没頭していくのである。

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